2025年4月20日日曜日

Thousand Tragedies falling down from the skies ...

「 無数に降ちてゆく「哀しみ」を見ている。

それはキラキラと輝く星屑のようであった。」、と。


あのロンドンの街角で、

雨の中で唄っていた少年は逝ってしまった。


雨に濡れて煤けた毛の長い白猫を抱きながら、

街角の隅で雨に打たれながらも眠っていた

うまく自分の気持ちを言葉にすることのできない少年。


「こうするとあったかいんだ。。」

少年はあとで私に語った。


誰も見向きもしない街角で、

少年はいつも小雨の降りしきる雨空の

宙に向かって歌を歌い続けた。。


時々、猫にご飯を置いていく人はいる。

小銭もくれる時もある。


しかし、少年は人々と目を合わすことも

「ありがとう」という言葉を返すこともできなかった。

いつも宙に向かって自分の歌を唄っているだけ。

なぜならそんな風には少年の人生から居なくなった母親は教えてくれなかったから。。

そしてそれまでの少年の経験したことの中で、

これ以上人を信じることができなくなっていたから。

少年の心は固く閉ざされていた。


でも、冷え切ったキャットフードを猫と分ける時は悲しかった。

「どうして僕はここにいるんだろう・・」と思った。


「こんなに悲しい気持ちになるために

僕は生まれて来たんだろうか?・・」と。



" Thousand Tragedies "

Asylum


" Days in the orphanage and the train to Covent Garden "


孤児院の日々も思った。

そこは母親の失踪後、母親に似た少年に暴力を振い続けた

父親のいる実家よりも良いところではなかった。

少年の躰は、家にいた時よりも無数の傷がついた。

それは後には消せないものであった。

心の傷が何よりも深かった。


孤児院の教官も、女性であっても冷たい人ばかりであった。

その人たちも「なぜ自分がこんなところで働いているの?」と思っていたからだ。

彼らは子供達にも、まるで豚に餌を与えるように冷たく当たった。


子供達が他の子供達に虐待されていても、

もしくはレイプされていても見てみぬふりをした。

なぜなら彼らも「その一味」だったから。


飯も不味く、ベットも硬く、最悪だった。


「もうこんなところにはいられない」と思った。

だから少年は意を決してそこを出た。

もう他に帰るところはないことを知っていた。


自然と躰は地下鉄に乗り、

ロンドンの中央まで無賃乗車して、そこで降りた。

少年の躰は小さく、その躰は改札口をすり抜けられたから。


そして「 (Covent) Garden to Westminster Abbey (Haven)」と名のつく

観光地のメッカの街角で得意の歌を歌うようになった。

なぜなら少年は気持ちを言葉にして

うまく発することはできなかったが、

歌うと自分の気持ちをすらすらと歌にして歌うことができたから。


その少年の歌は、宙に舞いいつも悲しかった。

誰も彼のその言葉や悲しみを理解できるものは少なかった。

その「心の叫び声」を聞いて

人々は「頭のおかしくなった少年」と思い、

この小汚い浮浪児を

見て見ぬ振りをして、その唄を聴かないことにしていた。


なのであまり稼ぎも良くなかった。

猫が時々、少年が貰った食べかけの食べ物を貰いにきた。

彼らは少年が汚くとも、言葉がうまく発せられなくとも

少年に懐いてきた。


彼らも同様にお腹が空いてしょうがなかった。

そしてその中にいた毛の長い白猫は、

少年と同じように煤けていて、雨でその毛はしっとりとしていた。


「同じ境遇だね。」と少年は思った。


そして雨の中で、少年は歌い、叫び続けた。

「誰に向かって唄っているのかわからないような歌」を。。


人々は少年の歌を聴いて、

「また、雨がやって来たように」

自分たちの中にあるまたその悲しくて寂しくなる気持ちを

掻き立てられたくなかったから、

その耳を塞いで、聴こえない振りを続けていた。。



" Leave me alone "

Asylum


" A boy singing in the rain in London Town "  no.1 & 2  ( with a white tailed cat )

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