わたしは
”声”にならない”声”を
代わりに
その人の”声”となって
表現しているような気がする・・
だって
わたしには
「身の覚えが」
ないのだもの。。
「もしかしたら」とは
想うけど、
「そんな感情は」
”たしかに”
今まで
”持ったこと”が
ない。。
だから
「その人の」
”背中”をさすって
「出してあげてる」
きぶん・・
わたしが代わりに
その人の”声”となって
語れば、
”彼の気持ち”が楽になるのであれば、
”それでいい”とも想ってる・・
だから
「私の”芝居”」は
”声”にならない”声”
だから
”叫ばなくても”いいんだよ。。
それは
”こころの中でしか”
”鳴り響かない”
うめき声でしかないから・・
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