4 Non BlondsのLinda Perryとか、
The SmithのMorrisseyとかも
ほんとは色々
こころの中の葛藤とか
”スゴかったんだろうな。。。”って想う。
(私はゲイではないけれど・・)
ファッション業界に長年いたお蔭(?)で、
とっても”ゲイ・フレンドリー”な
人間にはなったけれど。。(・・っていうか”いて当たり前”、みたいな。w)
だって、
ロンドンのアートスクールで
ファッションを勉強してる時なんて、
クラスメイトの男の子の10分の9は
いわゆる”ゲイ”だったもんね。。
ストレートなのは一人だけ。
逆に”肩身”狭いかも・・
レディースのファッションのデザインやってて、
あちらで”ゲイ”じゃないなんて。。
ま、そんなことはさておき、
さっきのリンダ・ペリーもモリッシーも、
自分が「ゲイ」ということで、
「社会的」に苦しんだり、
「親」にも自分の”本当の姿”を認められなかったりして、
「本当の自分の姿」がありのままで(”悪いこと”もしてないのに。。)
「社会」の中で認められなかったり、
実の親に「その姿」を見せて、
愛されなかったりするのは、
とっても辛いことだと想う。。
( ゲイ・フレンドリーな私としては、これはでも「ゲイ」に限らず、「いっぱん」に生きていると言われる人の中にでもあるかも、、、と想うヨ。。ちがう意味でも。 )
でもその「行き場のない、出口のない答え」を求めてさまよっていても、
その叫び声で、自分が「失神」してしまいそうな、大きな声を自分の中で出していても、
それをちゃんと「芸術」として
「音楽」として昇華しているところは、
”スゴイ”と想う。。
なかなか人間って
自分の「ほんとうの想い」を
「社会」や「あいて」に向けて
ありのままで表現したり、
ぶつけたりすることって、
「相当」勇気がいることだと想うから。。
でもこの間講演に行った
福島の詩人の「和合亮一」さんが言ってたけど、
「そんな絶望の淵いる自分の”声”を、じぶんはできるだけ”うつくしい言葉”で表現したい。」、
って言ってた。。。
「絶望の淵いる人間の心の叫び」を
罵倒するような”汚い”
ことばで表すのではなくて、
それをできるだけ、
チカラを振り絞って
「うつくしい言葉」に変えて
表現をする努力をするということは、
並大抵の
努力ではないと想うので、
ほんとに「感服」した。。
それはただ、
「表面的な」
うつくしい”言葉”ではなく、
「心の叫び」を
オブラートに包んだ、
”美しく”表現された、
真実の人間の心のことばだから
人の心を打つ。
わたしも
「そういう人」に
なりたいなー、と。。
想った。。。。
「彼」の講演をきいて。。
「聴いてる人」の”気持ち”も考えた、
ほんとうは”あたたかい”
オブラートにくるまれた
”うつくしい”詞に、
本当の”自分の気持ち”を乗せることを。。
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