2013年7月3日水曜日

可愛いって・・

ほんと、わたしは自分の”見た目”には

自分では自信がなくて、

あんなにもいつもすべてのわたしの”人間性”を否定されて

いつも”言葉”を発するだけで、

「首を絞められたり」、「言葉が発することができなくなるまで、」顔を殴られたり、

殺されそうになる事なんて日常的で(それがフツーみたいな・・”うちの家庭”では)、

父親の顔を見るたびに、

そんなこと、10歳ぐらいの時から、

16のときに家を出るまで続いてたから、

「そんな自分が愛されるわけがない。」と、

ずっと想ってた。

「自己否定的」だったし、(自然と)

「自分が自分のままでいちゃいけない」

「そうすると”愛されない”」とか。。


まるで「他の家」はそうじゃないみたいで、

うらやましかったけど。。

まったく「人間的」な会話などなくて、いつも「無言で」

ちょっとでも「言葉」を発すると、

「相手を殺してやろう」と想おう程、恐ろしい形相で

カーツとなって、アタマに血が上って、

いつも「殴りかかろうとしていた」

電話を掛けるだけでも、ただ”そこ”を歩いているだけでも、

なぜか”私”が憎いようだった。

”自分の子供なのにね。。”って。

そんなに”憎い”と想うなら、

結婚せずに、子供なんて持たなきゃよかったじゃん。

その方が私も幸せだったのに、って。。

「フツウの家に」生まれることが、その頃の「本当の私の夢」だった。。


そんなことが、おじいちゃんが死んだ後、しばらくたってから、

5,6年も続くと、「こっちも」おかしくなっちゃっうよね。。

その時は「こんな風に」話す事すらも、

恐ろしくて、「誰にも」できなかったし。。

わたしの中の「ふつー」がそれだから・・・

他の「ふつうの幸せな家庭」がどんなんだかわからなかったよ。ずっと・・


この間、

フラッシュバックが酷くて(それは”あの子”とのことだけど・・)

止まらなくてお医者さんに行ったら、

「それは、(その子との思い出はいいことばかりで、何も逆に”悪いこと”などないので)

”PTDS”(トラウマ症状)ですね。」とはっきり言われた。。

看護婦さんも

「こんな元気(にみえる)人が???」って、

先生に「トラウマ診断」の問診票持ってくるように頼まれた時ビックリして、二度聞きしてたけど。。


私の中では、

「それがフツーのこと」で「もう終わった」ことだから。。

「今の父親(ま、難しいことには変わりないけど・・)」を見ても何とも想わないし。。(って、まあまだ”それでも親かよ?”って想うような態度は何度も取られるけどね、今でも。手術の日にも用事がなくても”忙しい”って言ってスケジュールも見ようとしないとこなんかはね。)

「そっか。。」と想ってちょっとビックリした。


先生によると、

「”その子”との”想い出”は、逆に自分に悪い事など全く(相手にもそうであってくれることを願う・・)
ないので、”その前”に起こった事が、きっとまだ”自分の中”で消化されてないと想う」って

さきに”看護婦さん”に自分の辿って来た人生の経緯何かを質問されて話した内容を見て、

いわれたけど・・


「そっか、そうだったんだ。。わたし・・・」って。

先生に、

「それだけ色んな事があって、”今”こうやって、元気に問題なく幸せな人生を送られてるのは、
本当は”奇跡的”な事なんですよ・・ ま、じぶんの努力もあると思うけど。。
”もっと酷い”結果になってたことなんて、十分にありうえたから。。」って。

あ、そうか、あの時、私も

「ラナウェイ・トレイン」(ソウル・アサイラム)に乗って、

”どっか”行こうとしてて、

その”道”ずりの中で、”あの子”に逢って、”アサイラム”の音楽にも出会って、

間違った方向に行こうとした時にいつも、あの子や、その音楽に気持ちを支えられて、

”軌道修正”させてもらって(”その時”に”掛けてもらった”私の人生の中ではとっても重要な意味を閉める”言葉”のお陰で・・)

そして(途中で亡くなったいつもそんな父親を一緒に煽ってた母親を含めて)両親には与えて貰えなかった、

”本当の私”を”そのままで”理解してくれた、(わたしを引き取ってくれた)母方のおばあちゃんや、

血の繋がってない、”東京のおばさん”(”アサイラム”のライブの時もよくお世話になっていた・・)の

お蔭で、私は”ここまで”これたんだな・・・。。って初めて”理解して”想った。


そう、途中で、「何度も違う道」に行こうとしたことは何度もあった、

学校をやめようとした時とかも、”あの子”に相談した時も

”辞めん方がええで。。”って言ってくれて、(自分は”先”に辞めてたけど。。)

私が”ちゃんとした”道に進もうとした時に、

いつも”支えて”まるで自分のことみたいに、”喜んで”くれて。。

”みんな”には反対されたけど、本当に”よい子”だったんだよ。。私にとっては

自分の”いのち”に変えられないくらい・・


だから初めて、生まれて初めて、女の子として、”可愛い”って言ってくれた時、

とっても「嬉しかった。。」

そんな事、言われた事、それまでなかったし・・(「けなされる」ことはあっても・・ま、自分で「そう」想ってただけなのかもしれないけど・・「じぶんは可愛くない」って。。)

そんな自分の「好きな子に」そう言って貰えるって、まるで夢のようで、

想っても見なかったから・・

そしたらおばあちゃんも、家の「鏡」を見てると、

「あすかちゃん、カワイイよ。」っていってくれるようになって、

「え?」って想ったけど、

「ほんとはあんた、カワイイのよ。」って、自分では信じられなかったけど(まだ半信半疑で・・)

( おばあちゃんは、「あんたはそんだけ家で酷い目に遭って来たからそう想えないのかもしれないけど」って言って。。 )

なんだか、とっても少しは自分の中で”自信”が芽生えて、

やっと「自分自身でいて」可愛いって言ってくれる人たちが、周りに現れた・・・と想って、

本当に「子供時代から」そんな環境の”家庭”で育てれば、

どんだけ「自分の人生が」楽で、もっと”素直”に生きれたかって、

想うこと、いっぱいあるよ・・


”あなた”がまるで、

”大阪城公園”の庭で、

ゴールデン・ウイークに

”私達”のちいさな赤ちゃん連れて、”喜んで”バギーに乗せながら”あやしてる”風景が

”目の前”に浮かぶように・・


”あの時”言ってたことは、”ほんとう”だったんだ・・ ってね。。(信じてなかったけど・・ずっと。。)

「若いパパになりたい」って言ってた、

”あの頃”の”あなた”の夢を、見て。

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